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2012年6月

2012年6月29日 (金)

天空Show ざんね~ん

一年に一度の天空showが観られる(ハズだった)夏至の日に・・・。

Facebook_011 前日の那覇入り後、翌日の朝陽を拝むべく、現地にて車中でスタンバイするも・・・

今年は残念ながら・・・曇りのため・・・

観ることができませんでした(*≧m≦*)。

せっかく3泊4日もの日程をとったのに~。ちょうど同じ時刻あたりにお会いしたのは、少し離れているけれど地元のお母さん。娘さんとご一緒に「50年ぶりに観に来たんだけれど・・・」と残念がっていらっしゃいました。Facebook_017

それに、時が経つとこうなるのか・・・というほど綺麗になっていた。首里城を含めた近隣全体で世界遺産になったものだから・・・、玉城も整備されすぎ~。

グスクロードの沿道には、こんなふうにしっかりと案内版が・・・。

わたし達が始めて玉城にいった12年ほど前には、こんな案内板どころかどこに城跡があるかも分からないくらい草ぼうぼうだったのにィ~。

かつての面影も無く・・・Facebook_008 階段もこんな風に出来ている。前は石の階段(といってもごろごろと石が並んでいるだけで、滑りやすくて怖かった~)だったのですが、観光客というか、「東御廻い(あがりうまーい)」が俄に脚光を浴びたせいか、すっかり綺麗に整備されていました。 Facebook_016

前は、上までの階段は こんな感じの石段だったのですが・・・。これではこの玉城のありがたみが半減もいいところ・・・。

といっても仕方ありませんので、写真だけでも・・・。Facebook_020

玉城の城門が見えますね。

これは下から見た状態ですが、通常は夏至の日にはこんな風に太陽が昇り・・・

P6220030 そして・・・

P6220029こんなふうにゴホウラ型の城門にすっぽりと納まります。

ゴホウラ型の城門が  「母貝」で、その中に「あまてらす」である太陽が生れる。

なんと象徴的な天空ショウでしょう。P6220038

このことを発見し、大和とうちな~の関係を説くのが、市井の研究者である名護博先生。

その著書『赤椀の世直し』では、沖縄の持つ歴史的意味を、そしてこのゴホウラ貝にまつわる新説を説いておられます。

そして・・・もう少し時間がたつと・・・

P6210022_2 こんなに奥のほうまで朝陽の光が差し込みます。

この写真の男性の足もとには、石があります。もしかしたらここがイビだったのかもしれません。今ではこのあたりも草ぼうぼう・・・。 しかも、城門のあたりは、砂利土が入れられて、ひとがたくさん入れるようになっていました。すっごくびっくりです。あんな整備のしかたでいいのでしょうか?かなり疑問!

では、晴れた冬至にはいったいどうなるかといいますと・・・。

Dsc_0282_small_2

冬至には、この逆で西に沈む太陽の光が夏至と逆に差し込み、その光の帯がグスクロードの向こうにあるゴルフ場の芝の上をかすかに光の玉となってゆらゆらと移動していくのを見ることができます。Photo

上の写真は何年か前の冬至の日の夕方に、ここからラジオ(京都三条ラジオカフェ『天鈴花のなんくるないさぁ~』冬至スペシャル)の生中継をしたのですが、そのときのグスクの門を写したものです。たまたま取った写真ですが、なんと!摩訶不思議な光が写り込んでいます。

もちろん、これを写した時にはこの黄色い光は見えていませんでした。

世の中には不思議な現象がありますね~。特に沖縄は!

気を取り直して夫はやにわにラジオ体操を・・・。

Facebook_019 玉城でラジオ体操をする気になるなんて・・・

どうかんがえても、変わっているとしかいいようがありませんが・・・。

夏至の日は早々にホテル入り。久しぶりのお風呂バージョン。だって普段はシャワーですから~。

そして、ビールで久しぶりの旅を乾杯したのでありました~。

Facebook_029 いや~、久しぶりに泊まったホテルは、壷川にあるインターナショナル系のホテル「ホテルメルキュール」でした。リーズナブルプライスのワリにはいいロケーション。眼下にはユイレールが見えました。

まあ沖縄版はビジネスホテルに毛の生えた感じでしたが、新しくていい感じでした。壷川駅から数歩のところにあります。

プチ旅ならお勧めです。

2012年6月15日 (金)

友だちのさんから昨日電話があり、今日は午後から川満の「喜佐真御嶽」に行く予定です。

どうしてお誘いがあったかというと、『一人で行くの怖いから一緒に来て~』ということなのだ。

最近は観光できていた方がこの島に移動してきているケースが結構あって、そうした人がこの「うたき」と言われる場所にことのほか関心を寄せている。

かくいうわたしもそうした人の一人ではあるが、えてしてこの手の人間が犯しがちなことは、その「うたき」はあくまでも聖域であることをうっかり忘れているということだ。

なぜそこが「うたき」とされ、いったいそこがどういう意味を持つのか、そこをどう分かって行くのがということは、大変難しい問題のように思える。

その地域の人々がその「うたき」を中心にしてどのような暮らしを営み、どのような体験をしてきているのか・・・。

そんなことも知らないで、単に最近のスピリチュアルブームの一つとしてその手の場所に出入りするのは、軽々に過ぎる。

『だって、一人で行くの怖いんだもの・・・』と語る彼女は、そうした場所の裏側にある古層を知っていればこそなのではないか・・・。

彼女の言う『怖さ』の中身をわたしは分からないけれど、でもその畏怖の念くらいは分かるように想える。

いずれにしても、今日は濃い一日になりそうだぁ~。

2012年6月14日 (木)

ものの見方

ひとつのことをどの視点からみたらどうなるか・・・。

どこに足位置を置くかによって、ものごとは違って見える。

そんなことが今身近で起きている。

文化をどう伝えるか、どう継承していくか・・・。

それをどのように考えるか。

「うたき」とは何か・・・。

ホントに外から見たら分からないこともあるし、だからこそ見えることもある。

そして、口をはさめないこともたくさんある。

それにしても・・・わたし達(少なくともわたしは)は、「それ」や「ココ」をな~んにも知らないのだ。

・・・・とひとりごと。

2012年6月 8日 (金)

Allenは逝っていた・・・

さっきシネマパニックで『誰も知らない基地のこと』を観た。

誰も知らない基地のこと

アメリカが世界中でどんなことをしているか、わたし達が余りにも無知であったことを知ったことも驚きだったが、もっとびっくりしたことがある。

AllenNelsonが逝っていたことだ。

映像はアメリカ合衆国の建国以来の動きと、各時代のそして冷戦後の大統領のコメントと、警告がつづき、そして沖縄やインド洋、そしてイタリアなどの基地についての経過とアメリカの「やり方」が綿々と続く。

そして・・・

少し年をとった感じになっていたAllenの姿が大写しになった。

「あっ、Allenだ!」思わず声を出してしまった。

わたしが知っている彼はこうだ・・・。

Allenはベトナム帰還兵であった。沖縄では金武のキャンプハンセンに勤務し、ベトナム戦争に派遣された。

そのベトナムであったこと、それはAllenにとって衝撃的な体験であった。

ベトナム人は鬼だと軍隊で教育された。だから殺してもいいのだとも。

ベトナムに派遣された彼が、洞窟に逃げ込んだベトナム人達を見つけ銃を向けた際、おりしも一人のベトナム女性が陣痛を訴え始めた・・・。

軍事教育された彼自身は、そのことにどう対応するか逡巡する。

が、そのような逡巡を振り払うかのように赤子はこの世に産み落とされた。そして彼は産み落とされた赤ん坊を、とっさに自分の手で受け止めることとなる。

その赤ん坊は鬼どころか、身体は自分と同じように暖かく、血液は温かかった。

そうした衝撃体験を元に、反戦平和を訴えたのが、以下のブックレットだ。

沖縄に基地はいらない―元海兵隊員が本当の戦争を語る (岩波ブックレット (No.444))

彼は除隊後、精神に異常をきたしそして18年をかけて快復した。

その彼が後にアメリカの学校で戦争の無益さについて、体験を語る講演を依頼される。そしてその時のある少女の質問をきっかけにして彼は平和活動へとシフトしていくわけなのだ。

「ネルソンさん、あなたは人を殺したのですか?」

彼が講演を引き受ける前に、内心恐れていたことが起こってしまった。

彼はしばらくの沈黙の後・・・「yes」と静かに答えた。

だが、彼の恐れは必要がなかったことがすぐに分かる。

その場にいた子ども達は誰からとも言わず、Allenに近寄り、静かに抱きしめたという。

その彼がそれ以降、ベトナム帰還兵として戦争の悲惨さを訴える講演を各地で始めることになるのだ。

*************

・・・エンドロールの直前右側の字幕に、『故アレンネルソンに捧げる』という文字とアレンネルソン(1947~2009)の笑顔の写真を見たわたしは一瞬息が止まる。

えっ?アレン逝ってしまっていたの?どうして?

実は20年ほど前になるだろうか・・・。

RIDEFという世界規模の教育運動に参加していたわたしは、日本で開催された大会で、琉球大学の教員と共に分科会でワークショップを開催したことがある。

テーマは「沖縄」

そこでわたし達は沖縄の歴史と文化を伝えると共に基地の問題を取り上げた。

単に基地反対を叫ぶのではなく、平和を考えようと。そして、既に活動を始めていたベトナム帰還兵であるAllenNelsonに声をかけたのだ。

彼は成田から品川まで、そして池袋まで自力で辿りついていた。(来日が開催日当日だったのでなんとか自力で来て欲しいと伝えていた)

池袋まで出迎えたわたしは、彼を会場まで案内する間、貧弱な英語で色々なことをお喋りした。

ワークショップの休憩では、自販機でコーラを買い「Allen!」と声をかけて暑い日差しの芝生に座り、いままでのセッションを振り共に過ごした。

気さくでウイットに富み、そしてギターが上手だった。彼の頭には日本手ぬぐいで出来ているバンダナが巻かれていた。

そのチャーミングな彼は、ベトナム戦争に使用された枯葉剤の後遺症と思われる多発性骨髄腫を発病し、3月25日永眠していたのだ。享年61歳。

世界の警察といわれるアメリカは全世界で、日本にしたのと同じような「やり方」で(政府間にあった密約なども含め)したたかに今も軍事基地を拡大しつつある。もはやアメリカの軍事予算は過去最高の額に跳ね上がっている。

彼らの論理を正義(これには裏があるのだが)として、世界平和を維持する為に基地はどうしても必要だと説く。基地は暫定的におくものであり、恒久化することはありえないとも。

ただ、歴代の大統領は口々にそうしたことの欺瞞を諌めることばを残している。

それにも増して、沖縄の反戦地主のおじィが語る「ことば」にはものすごく説得力があった。

「料理をするから包丁を貸してといえば貸すが、人を殺すから貸せといわれれば貸すわけにはいかない」

戦後60数年を強制的に奪われた土地をフェンスの外から見続けるそのおじィは、今後自分の土地が返還されたら土地を耕し、5畝ほどに大根を育てたいと語る。育てた大根を近所に配るのを夢にしているという。

このささやかな望みが叶うことはもしかしたら無いのではないか・・・と思われる程、この映画で語られたことは「戦争の論理」の理不尽さを語るものであった。

だってアメリカは、最初から沖縄を世界平和どころか、世界に配置するアメリカの為のキーストーンとして、そこを恒久基地化することを目的にしていた(勿論、世界中にある基地も同様に)占領だったのだから。

それにしても・・・

オバマはいつかくるであろう政治の舞台から去るときに、少なくともひとりの人間として、いったいどのような「ことば」を残すことができるのだろうか・・・。

AllenNelsonのご冥福を心からお祈りします。

衝撃の事実(かも)判明! レポ

事実とは小説より奇なりとはいうけれど・・・

巧み過ぎたる想像も奇怪でありますなぁ~。

前回報告した「あやしの5人男」たち、ここの自治会長さんと立ち話をしていたら、どうやら開発業者であること(恐らく)が判明。Sn3j0504

いかんいかん、勝手な想像は誤解の元。

黒服にグラサンのオヤジは、ディレクターじゃあなくて、ディベロパー?

それにしても、でもでも、やっぱ・・・

あそこが開発されて、コテージ風あるいは分譲、あるいは建売(の予定があるとのこと)が建ったらどうなんの??

え~!でも、一体どこに建てるンでしょうかねぇ~??

実は数年前からその計画はあったようでして・・・

ずっと沙汰闇だった話が、俄にここで動き出しているらしい。

でも、自治会にも連絡がなくことが動いているって、どうなのさ?

自然がこうしてジワジワと切り売りされていく・・・。Sn3j0498_2

このところ見聞きするけれど、石垣のかつてのバブル状態が今宮古に湧き上がっているとか。

バブルに浮かされている人たちが、この宮古にもいるわけね。石垣バブルが崩壊した後の様子ってご存知なんだろうかぁ~。

数年後の宮古が怖い~!夢の址は一体どうなるんだろう~。想像するだに恐ろしい。

こんな宮古を土地の神様はどんな風にご覧なのだろうか。

昨日もせっせと道を切り開いたけれど、

アノ場所は分からないようにとっておきたいなぁ~。

気が付くと、空が美しいいつもの夏の色になってきている。Sn3j0501

アブラゼミももう鳴き始めているし・・・。

夏もすぐ近くにきているハズよ。

2012年6月 5日 (火)

あやしいオヤジ5人組 レポ

今日は「フラワーエッセンスやさしいママの手Mary」の幸っちゃんと面白いことを考えて盛り上がった後、SOHOを半日で閉め、某所を徘徊す。

詳しくは書けないのだけれど、実は・・・大切な某所の道を切り開いているんです。Iori_164

で、夫と一緒に某所で今日もセッセと切り開いていると・・・、まさかの「わ」ナンバーが入り込んでいる・・・。

車にはどうやら人の影が見えるが、遠目でよく見えない。

その内に男どもがドヤドヤとやってくるではないか~。

黒いポロシャツにサングラス、そしてキャップをかぶって・・・という、いかにもの風体だ。

どうしても単に旅行客とは思えない。この奥まった空間になぜ男5人?の不思議グループ。

わたし達が農作業(ではないけれど)チックな行動をしているのを見て、何かあるのかと問うではないか。

クソまじめな夫は正直な話をしようと・・・。

アホッ、どこの誰だか判らんのに、大切な話をすんなよォ~と内心想いつつ、わたしは黙々とアダンの葉を運んでエスケープ。

この先は行けませんよの夫の話を無視して、ずんずんと奥まで男ども5人は突き進む・・・

はたして数分後案の定戻ってきた。(道はないって言ってっだろォがぁ~。)

立ち去った後を横目で見ると・・・、唯一若い男は手に紙バサミを持っている。そして偉そうにしている男が一人。それを取り巻くその他3人。

偉そうなのがどこかに電話をしている風だ。

そうしてちょっと先の(夫が車を廻せるように広く切り開けた)空き地に佇むこと9~10分。

何かを誰かと協議している様子でもある。

実はわたし結構観察眼があるんですよ。見てないふりしながら、チェックチェック。って、マジ、警戒モード発動・・・。

すでに島のおバーテイストになっているわたし。

それにしても、何でこんなところに・・・どう考えても不思議な集団だったなぁ~。

で、わが妄想では、

これから撮影が始まる・・・

某局の朝ドラの撮影スポット見つけ隊と見た。Iori_002

だって~、黒シャツの男、見るからにディレクターっぽかったモン~。

2012年6月 2日 (土)

カエルの子はカエルというけれど・・・。

カエルの子はカエルっていうけれど、カエルの孫もカエルらしい・・・!

というのも・・・

実はわたしの実家は印刷やさんでした。父は敗戦後戦地から内地に帰還して、当時誰でもなれた地方公務員に。そして・・・

労働運動をやりすぎて・・・、レッドパージをうけ(当時の社会党員で、某県北の書記長だったんですけれどね)仕事を辞め、そんなら「アジびら」がきれるからといって、所謂ガリ版屋になったんです。

まあ途中からは、労働運動の仲間の一人の娘さんがダウン症で、当時通える児童の通所施設がないからと、一緒に福祉施設を設立するために、福祉の分野に移行しましたけれど・・・。

晩年は精神薄弱(と43年位前の当時はいっていましたね)者成人施設の事務長兼副施設長でした。

そんな父親のDNAを引き継いでいるからか、わたしの娘が今はアートブックバインディング(手製本)の作家をしています。

これ、カエルの孫もカエルっていうことかしら?

わたしも小さい時から両親や家族と一緒に、夜なべ仕事に印刷物の製本を手伝っていましたよ。

そしてまた、娘は手製本の技術を伝える工房(マルミズ組)も運営していて、ついこの間は機械製本の見学ツアーを企画したとのこと。(東京新聞に掲載

最初から全部手で本を作るなんて(因みに、仕立てる時の用紙は全紙から切り出すとか)、想像もつきにくいことですけれど、実際にこうして手製本を楽しんでいる方がたくさんいらっしゃるんですね~。

もっとも、よく考えれば何でも始めは、手作りだったはずだから・・・、とりあえずは何でも作れるハズよね~。

わたしが子どものころ、実家の仕事が忙しい時、母からよく餃子やさんに行って餃子を買ってくるようにいわれて、近所にある餃子やさんまで、お遣いにいったことがありました。

だから、餃子って買ってくるもので自分では作れないんだと思ってました。自分で作れることを知ったのは、実は・・・、結婚して自分で食事を作るようになってからだったんです。( ̄Д ̄;;

因みにプリンが蒸焼き菓子だってことを知ったのも、学生時代にボランティアで児童養護施設の子ども達の夏のキャンプで軽井沢に行った時、修道会のシスター達が作ってるのを見てからです。

当然のように、わたしはプリンって冷蔵庫で作るものだとばかり思ってました。(@Д@;

と、話は大分それてしまいましたが、手しごとにこだわるマルミズ組を、全国の皆さま、是非ゴヒイキニ~!

宮古も手づくり生活が息づく島。

この空間で「手しごと」のある暮らしを再確認したい今日この頃です。

ものづくりの現場が宮古にも、もっとできるといいねぇ~。

2012年6月 1日 (金)

あなどるなかれ~、とうがん君

余り馴染みのない野菜だった冬瓜。

とーがん君が到来したので、久しぶりに炊くことに。

今まではまったく食べることもなかった冬瓜。

沖縄で知っているのは那覇の謝花きっぱん店の「冬瓜漬け」だったが、そして京都でも食べたは食べたけれど・・・今まではそれほど馴染みのない野菜だった。

それでも、宮古ではホントにたくさん採れていて、誰かからいただくポピュラーな野菜でもあるんですよね~。

で、今夜の夕飯の一品は・・・

じゃ~ん、冬瓜の煮付け。Sn3j0493

で、この間いただいた干ししいたけさんを使って出汁をとり・・・、って、しいたけ一個だけ?

でも、この干ししいたけ、めちゃくちゃ高級な「どんこ」らしく、一つだけでものすごくいい出汁がでました~。

ことこと・・・と土鍋で炊いて・・・Sn3j0494

煮含めて・・・Sn3j0496

出来上がり~。

すっごく出汁が利いてて・・・

ずみ!Sn3j0497

んまい~!

あなどるなかれ~な、とうがん君でした~!

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